March 30, 2005

いよいよ今夜

 バーレーンとのホームゲーム。
 システムだ先発だなんだと、テレビ新聞でもにぎやかに噂されている。あまりにジーコのサービスがよすぎて、おいおいそんなことまで言っちゃって大丈夫かよという気もしないでもないが(たまには報道陣を騙して敵を油断させるとかあわてさせるとかしてみてくれよ。そろそろそういうビックリが効く頃じゃないの?)、とにかくあと18時間ほどで試合開始。
 なんとしても勝ち点3を取ってほしい、と思うのでした。

ぜいきんのむだづかい

「報道ステーション」でやっていた、各地の《税金ありあまるほどもらえるので、やたらと〈ユニークな〉建造物やら施設やらを作ってしまいましたー》というレポートをみて、ああこの国はつくづく腐っているなあと思ったわけです。
“道州”制の計画がどれくらい進んでいるのか知りませんが、はやいとこ各都道府県の独立採算制にして――あれこれ決め手には欠けるけれども――でかいハコ作って喜んでる場合かと自治体の人たちに考えていただきたいもんだ。

March 26, 2005

1-2

 がっくし……。

日本代表、イランに敗れる サッカーW杯アジア予選(asahi.com)

 昨夜は帰宅が遅かったので、途中からしか見てないんですが……今日の午後、録ってあったのを早回しでみて、しっかり落ち込んでみました。ごくろうなことだな俺よ。
 柳沢を入れて、そのからみで同点にしたときは、ジーコの神がかりがまた効いた! と狂喜したわけですが、やっぱりもたなかったか。1-1で終われれば御の字だったんだけどなあ。勢いでそのままバーレーンも迎撃できたのになあ。なんか帰国した選手たちの顔も暗そうだったしなあ。なんだか心配だなあ。
 などといっていても仕方がない。気持ちを切り替えて30日は3-0ぐらいで勝ってほしい。いや、贅沢は言わない。とにかくバーレーンより1点だけ多く、点を取ってください。頼む。

※読み物リンク

March 20, 2005

正しい歩き方

体協、子供たちに「歩き方」手ほどき 練習方法提案へ(asahi.com:教育)

 あはは。地球の歩き方かと思ったら地上の歩き方でした。正しい保健体育のつぎは正しい歩き方・走り方・跳び方です。

 正しい歩き方、教えます――。日本体育協会は新年度から、「歩く」「走る」「跳ぶ」といった基本動作の身につけ方を子供たちに提案する事業に乗り出す。一昔前なら遊びの中で自然に覚えた動きが、屋外で遊べる場所と時間の減少とともにぎこちなくなってきたことが背景にあるという。

 そうかあ。そういえばスキップって幼稚園ぐらいのときになかなかマスターできずに悩んだことがあったなあ。自転車は案外すんなり乗れた記憶があるんだが。かけっこは遅かった。なにしろ遅かった。ちゃんと《基本動作》を教わっていれば、もうすこし早く走れたかもしれん。そんなことはどうでもいい。

 最近の子供はスポーツ少年団とかがあったりして、それなりに運動もしてるんじゃないの、と思ったら、

スポーツクラブに入っていても特定の競技にしか取り組まないために、全体的な体の動きが不得手な子供が多い

 ってことだそうです。へえ〜。しかし昔の子供だって、放課後遊びでやるスポーツといえば野球ぐらいしかなかったと思うのだが。缶蹴りなどの遊びは別にしても。今はサッカーしかやってないのかな。ああそういえば昼休みはドッヂボールやってたっけ。
 しかし体育の授業ではいろいろやるんじゃないのか? そんなに近頃の子供はたいへんなことになってるのか。すごいな。

一昔前なら遊びの中で自然に覚えた動きが、屋外で遊べる場所と時間の減少とともにぎこちなくなってきたことが背景にある

 んだそうです。ほう。そういうもんか。

 ま、いいんじゃないでしょうか。転び方も学習しないといきなり頭から倒れて死んだりするだろうし、ボールの投げ方もおぼえないとコンビニ強盗にカラーボールをぶつけられないし。
 でも気になるのが、えらく控えめというかおっかなびっくりな表現だというところ。《基本動作の身につけ方を子供たちに提案する事業》って、くどすぎない? 「基本動作を身につけさせる事業」、じゃダメなんだろうか。記者の日本語が下手なのか日本体育協会の人がこんがらがっちゃったことを言ったのかわかりませんが。なんだかあまりに控えめすぎて、そもそもどうしたいのか意味不明になっちゃってるよ。「生活に必要な基本動作(歩き方等)」を「子供たち」に「こうやって身につけられますよ(身につけ方)」と「提案」するの? へりくだりすぎだろ、それじゃ。「いやね、重々ご承知かとは思うんですけどね、この右足左足の出すときのタイミングを、もうちょっと、こう、なめらかにですな、ええ、ええ、そうですさようでございます、いやあナイスショット、さすが部長ですな」みたいなことになってるぞ。もうちょっとすっきり表現してはどうだろうか。
 まさか子供に基本動作を身につけさせるとか言うと、押しつけるな子供の人権問題だ個人の自由だとかなんとかトチ狂ったこと言い出す親がいるとかじゃないよね。ちょっと心配だ。そんなアホな。

March 16, 2005

ゆとり

「ゆとり」見直しに賛成78% 本社世論調査(asahi.com: 暮らし)

 なんかasahi.comのレイアウトがかわりましたね。まだ慣れないんだけど。ま、それはさておき。
 ええと、朝日新聞が調査しましたとさ。ざっと抜粋していくと……。

  • ゆとり教育を見直すことに賛成の人が78%
  • 土曜日を休みにした学校週5日制には、62%が反対
  • 「ゆとり」の象徴的存在である「総合的な学習の時間」(総合的学習)を減らして主要教科を増やすことにも、51%の人が賛成
  • ゆとり教育の目的だった「生きる力」を育てる役割を学校に「期待する」と答えた人が66%(総合的学習を削って主要教科を増やすことに賛成の人でも、64%)
  • 今回の調査でも、79%が「学力は下がっている」と認識
  • そのうち約6割は「主に学校教育に原因がある」
  • ゆとり教育の柱の一つである学校週5日制への賛成は27%止まり
  • 女性の賛成は21%しかなく、男性よりも否定的
  • 総合的学習を削って国語、算数など主要教科の時間を増やすことをめぐっては、賛成51%(反対33%、ゆとり教育見直しに賛成の人では、賛成が6割近く)

 はあ、そうですか。ちなみに産経新聞の電話調査では、「ゆとり教育」見直しに賛成が75.1%、反対が10.3%、「どちらともいえない」が13.8%ということで、だいたい同じぐらいです。
 いや、なんかあまり現実味がないんだけどね。なんかまとめているようでいて、わかりにくくしてあるような感じがしてならんのですが。割合やパーセンテージを出しているところ拾うと上の抜粋みたいになるんだけど、なにがいいたいのかなあと。
 世論調査をした。8割ぐらいの人が、学力下がってるみたいだし、「ゆとり教育」は見直したほうがよかろう、と。でも6割ぐらいの人は、学校は「生きる力」を教えてやってねと思っていると。
 生きる力ってなに?

 


 ほんと、よくわかんないんだよ。
 この調査に答えている人というのはどういう人たちなんだろうか。子供を持っている親に限定しているんだろうか。若者や老人も含めているんだろうか。おそらく男女年齢職業関係なしにランダムに選んでいるんだろうとは思うけど。
 ゆとり教育、失敗でした。あたま悪くなってるみたいだし、国語算数とか基本的なところをしっかり押さえようよ、って思ってる人が半数以上いるってことなのかなあ。週休二日制なんかやめて、もっとつめこみ教育したほうがいいんじゃないのと。
 でも「生きる力」は教えてね、と。生きる力って何なんですか。「ゆとり教育 生きる力」で検索してみても2月の中央教育審議会の様子とか他紙の電話調査の結果とかばかり。
 かろうじて、毎日の中教審:指導要領、俎上にという記事に、

「自ら学び考え、判断する力(生きる力)の育成」

 という記述があるので、きっとこれのことなのでしょう。生活力みたいなことかな。
 で、それを学校教育に期待する、と、そういうことですか。

 なんかそれって違ってないか?
 今の教育がいいか悪いか、文部科学省が正しいか正しくないか、教師の質が上がってるか下がってるか、そういったことはひとまず措いておく。それはそれで重大な問題だし、よくよく検討しなきゃならない問題(それこそ子供を学校に送り込む――送らざるをえない――当事者である親たちがイニシアティヴをとって、だ)ではある。
 しかしですな、自分で考えて判断する、っていうことまで学校に押しつけていいのか? それは小学校に入れるまえに、親が教えてやるべきことなのではないのか? モノゴトの善し悪し、こういうことやったらお友達が嫌がる、遊んでくれる子がいなくなる、あげくに社会から白眼視される、ってことはまず親が教えることなのでは。
 教えるとしても、まあ限度はありましょう。学校ってのはそこらへんをフォローすることはあっても、主眼は《学力・体力をつける》ってところにあるんだと思うんだけどなあ。
 いや、千歩ぐらい譲って、学校でも生活力(どう金を稼ぐかではなくて、ふつうに生きていくために、どう理論づけて考えていくか)を教えるべきだってことにしましょう。でも、その子供の保護者に確固たる哲学がなければ、学校でいくら教えても無駄だと思う(まあ逆に、たいへん不道徳的な方向で確固たる主義主張をもっている親に育てられたりすると困るけど――子供が万引きしても親が何も感じないとか、それどころか親が子供に命じて万引きさせたりとかね)。
 もしも今の親たちが、昔なつかしい「つめこみ教育」にシフトすれば子供の学力が上がるだろう経済も復調し日本の未来は安泰になるだろうと思っているのだとすれば、それは大きな間違いだ。「つめこみ教育」時代は、とりあえず親はいわゆる「生きる力」教育は自前でやっていた(人が多かったように思う。まあ個人weblogなんだからいちいち“個人的意見だが”“個人的経験によれば”なんて書くのもばかばかしいのでもう書かないが)。ごく低レベルなしつけから、子供の将来についての提言まで。その当時、ほんとうに「ゆとり」はなかったのか。
 教文家庭教師会というところに掲載されている中教審・答申(2003年10月7日。提供は旺文社・教育情報センター)によれば、

<30 年前から始まった「ゆとり教育」>
昭和40 年代、教育内容の向上と現代化が図られる中で、第1 次ベビーブーマーの受験競争激化とそれに伴う「詰め込み教育」に対する弊害が指摘されていた。
まず昭和47 年、知識の習得のみにとらわれず、学習指導要領の内容を一部精選するなど、教科指導や教科書の取扱いの適切な配慮を求めた。さらに、小・中学校は昭和52 年、高等学校では昭和53 年の学習指導要領改訂を機に、いわゆる「ゆとり教育」に転換した。
その集大成ともいえる今回の新学習指導要領(小・中学校は平成10 年、高等学校では11年に改訂告示)は、「[ゆとり]の中で[特色ある教育]を展開し、自ら学び、考える[生きる力]を育成する」ことを目標に掲げている。

<戦後最大級の“ゆとり教育”>
新学習指導要領は、完全学校週5日制に合わせ、小・中学校では学習内容をほぼ3割削減した一方、高等学校も含めて各学校の裁量が生かせるように大綱化を図り、現場の創意工夫を生かす「総合的な学習の時間」(小学校3 年生以上で必修)を創設したのが大きな特徴である。
高等学校では、卒業に必要な単位を80 単位以上から74 単位以上に、必修教科・科目も普通科で最低38 単位から31 単位に減らして戦後最低となった。因みに、昭和35 年告示の学習指導要領では、科学技術教育の向上などを唱え、必修単位数は過去最高の68 単位であった。また、学校が独自に設定できる科目や教科(学校設定科目、教科)も、これまで設置者(県立なら県教委)の権限だったが、学校の判断でできるように改めた。
学習指導要領の全面改訂は戦後6回目になるが、最大級の“ゆとり改訂”といえる。

 てな具合だ(ちょっと長いな)。
 きっともうすごかったんでしょうな。詰め込み。受験戦争ってぐらいだから勉強を苦にして死んだ子供も続出したんでしょう。いかんよいかん、これじゃいかん。ってことだったのかどうかは知らないが。
 でも案外バランスがとれてたんじゃないかって気もする。日本人には適度な詰め込みが合っていたのではないかとも。むろんその尺度に収まり切れない天才肌の人たちはいたし、どんどん頭脳が海外流出していったんだけどね、でも大多数の人間はそんな天才は持ち合わせていないわけで。だから親の理性さえあれば、学校で詰め込まれていても、なんとなくバランスがとれていたんじゃないかと思えるのだ。詰め込み教育を受けていても「おめえそんなに勉強したって、身体こわしちゃしょうがねえぞ」みたいなこととか、逆に、「勉強しないで将来苦労するのはあんたよ」とか(今ならさしずめ「いい会社入ったっていつ潰れるかリストラされるかわからん。それより手に職をつけろ」とかね)。
 それでも時代の変遷により、受験戦争が鎮まることもなくますます加熱したり責任感のない親が増えたりしてきて、あげくに「ゆとり教育」だったわけだ。
 まずは親の「ゆとり」――赤ん坊を車内に残してパチンコに行ったり、電車や店のなかで叫び暴れる子供を放置していられるゆとり――を奪うことのほうが先なのではなかろうか、とさえ思えるのである。
 なんかぜんぜんまとまりませんが、そんなようなことを思ったのであったよ。うーん、これ、もう少しじっくり考えるべきかもな。とりあえず下書きってことで。

March 15, 2005

花粉真っ盛り

 今年は《史上最大》らしいですな。
 そんなスタート時期でしたが、風邪ひいちゃったりして、どこから花粉だったのかよくわからないままシーズン突入。しかし金曜土曜あたりから、きたきたきたー、と実感させられるのでありました。目はかゆい鼻はつまるで、ああ今年ももうすぐ春だなあと思うのでした。へくし。
 それでも本当に悲惨な人に比べればマシなほうなんだけど、やっぱつらいわあ。

March 11, 2005

セレブ列伝

中尊寺ゆつこ『セレブ列伝 The Lives Of 77 Celebrities』(廣済堂出版)

 著者が1月31日に亡くなってしばらくたって書店でみかけたので買ってみたら、ずいぶん前に出た本だった。初出は「会社生活の友」というサイトの99年10月〜02年6月。連載時のタイトルは「この人を見よ」で、今でもこちらで見ることができる。
“この人”のなかからセレブっぽい女性を選んで編んだのがこの本ということになる。実際には、田中真紀子とか“ハマのメリーさん”とか微妙な人もいるけど。もっとも、ほとんど文章も書き直し、新たに24人分書き下ろしたそうだから、連載時のままではないようだが。

実際はほとんど書き下ろしに近いのです。
というのも、漫画も文章もほとんど書き換えて、
新たに24人!分を書き足したからです。(Chusonji Comixより)

 なにしろミレニアム時分のネタだからやや古い。アニータだの小渕優子だの東尾理子だの(今なら宮里か横峯か)微妙に古びた感じがしてしまうし、私なんぞは全然知らないジャンルの人もいるけど。でもまあそれが時代というものでしょう。
 なんとなくバブルの申し子という印象のある中尊寺ゆつこ(漫画家デビューは87年、「オヤジギャル」で流行語大賞を受賞したのは90年)ですが、そのあとも精力的に活動しつづけ、結婚もして、ふたりの子供も産んでたんですね。下の子なんてまだ2歳にもなってない。人の運命なんていろいろだから、軽々に気の毒だとかかわいそうだとかいいたくありませんが、人間なんてあっけないもんだなあ、つくづくと感じた次第です。公式サイトの日記での翔んでるママっぷり(普通にいいママっぷりなんだけど)をみると余計にね。合掌。

中尊寺ゆつこ公式サイト Chusonji Comix
 http://www.chusonji.com/jp/index.html

March 09, 2005

そなたと乗りたい?

韓流追い風、車も「ソナタ」 現代が日本に今夏投入(asahi.com)

 すごいな。調子に乗りすぎだと思うよ。

 韓国最大手の自動車メーカー現代(ヒュンダイ)自動車が、韓流ブームを追い風に日本市場で攻勢に出る。今年は販売台数を前年比6割増の4000台にする計画。夏には人気を呼んだテレビドラマ「冬のソナタ」にも使われた主力セダン「ソナタ」を投入する予定だ。好調な世界販売とは裏腹に不振の続く日本市場で販売を一気に伸ばそうと意気込んでいる。

 そ、そうですか。「冬のソナタ」に使われましたか。知りませんがそれはもしかするとオバさまたちがキャーとかいうような車なんでしょうか。「今度車買い替えるときはソナタにしましょうよアナタ」と旦那さんに詰め寄る光景が日本各地で見られるんでしょうか。別にみたくないけど。

March 07, 2005

Firefoxがなかなかいい

 そろそろMovable Typeも3.1にしようかと思いつつなかなか踏み切れずにいたりする。そのくせスタイルシートとかインデックスの指定を変えてみようとかしてめちゃめちゃになってしまい、結局もとに戻したりしている午前2時。明日は平日だというのに……。
いや、もとに戻ってないような気もするぞ。右側のメニュー部分がなんだか変な具合だ。まあいいか。

 さて、最近はIEでもSafariでもなく、Firefoxというブラウザをよく使っています(配布してるところ:Mozilla Japan)。軽快だしなかなか使い勝手がよろしい(セキュリティアップデートが3月に予定されているので、それを待って1.0.1を入れるほうがいいのかも?)。
 いちばん便利なのは、RSSリーダーとしても使えるところ。「Sage」という拡張機能を入れて、お気に入りのWeblogを登録すると、新着記事のあるところが一目瞭然なのです。なかなかえらいぞ。
 だいたい快適に使えているんですが、たまーに反応しなくなっちゃうことがある……。理由はわからない。ううむ。

March 06, 2005

子離れしろや

服部が単独首位に ダイキンオーキッド2日目(asahi.com)

 という記事があった。女子プロゴルフの話だ。宮里藍だの横峯さくらだので話題の女子プロの話だ。全然興味ない。たいくつな日曜の午後にテレビで中継していたとしても、まずゴルフの中継はみないだろう。
 しかしこの記事(上記URLはふつうにゴルフの試合の様子を報じているんだが)のあとに短信がおまけでついている(asahi.comではみつからず)。見出しは《さくらも乱調/父親とけんか》。一瞬、「さくらも乱闘」かと思いましたよ。父親と殴り合いのケンカをしたのかと。
 しかしそうではなく。

 横峯さくらが、ホールアウト後、父親の良郎さんと約20分の親子げんか。この日、さくらが77と乱れ、良郎さんがテレビインタビューで「明日は自分がキャディーをする」と話しているところに、さくらが引き揚げてきた。それを聞いた娘は即座に「いや」。
 強い拒否に良郎さんは「ジャンケン」や「多数決」で決めようとも持ちかけたが、いずれも却下。「最終日にオーバーパーなら罰金」で決着した。

 なんだかねえ。
 そういえば昨夜の「ブロードキャスター」で横峯の父親がなんか言ってましたな。俺がキャディーだったらどうのこうのとか。ああいうの、恥と思わないんですかね彼は。世の中のステージママ、ステージパパといった手合は、なぜいつまでも子供を支配下に置きたがるんだろうか。そして無駄にはしゃいじゃって、子供の足を引っ張ることをするんだろうか。
 イチローの父親にしてもそうだし、松井秀喜の父親にいたっては演歌歌手デビューしたり。別に父親母親とて別個の人格なんだから好きな人生を歩めばいいが、子供(の知名度)に頼って金を稼ごうというのはどうよ。
 イチロー、松井、横峯らが今日あるのは、父親のおかげ?
 そりゃそうでしょう。親がスポーツをするきっかけを与えなければ、一流選手にはなれなかったでしょう。スポーツに限らず、芸術でも学問でも同じですが。
 だからといって、口出ししますか。プロになった人に。19歳だろうが何歳だろうが、独り立ちして金を稼ぐというのがプロ。キャディーを選ぶのも自己責任。それなのに、俺が俺がと口を出すとは……。こういうのも『正しい保健体育』の《子供と秘密結社のような関係を結びたい親》の一例だな。気持ちわりい。
 子離れしなよ、いいかげんに。
 子供が気の毒でならない。

▽横峯さくらのWeblog「日刊スポーツ・さくらblog

正しい保健体育

みうらじゅん『正しい保健体育』(理論社/よりみちパン!セ 1200円)

 2004.12.20初版。2004年の暮れからはじまった、理論社の“中学生以上すべての人の”という但し書きがついている叢書《よりみちパン!セ》の第1回配本分のうちの1冊。同時刊行はほかに重松清、白川静、森達也、伏見憲明。ヤングアダルト新書とも表示されているので、要するに中高生向けの人生読本(それもかなりカジュアルな――岩波ジュニア新書とは一線を画すような)みたいなもんなんだろう。
 いずれにせよ、みうらじゅんじゃなければ手に取らなかっただろうけれど、取ってしまった。読んでしまった。大笑いしてしまった。
 こんなんガキに読ませていいのかよ。真面目な少年少女は読んじゃダメだ。真面目な大人も読んじゃダメだ(Amazonのカスタマーレビューには《内容は安心して子供に見せられるものではありません。/下ネタばかりです。》なんてこと書いちゃってるかわいそうな“大人”さんがいらっしゃいますが……)。しかし傑作だ。
 じつに正しい性教育および大人教育の教科書なんだけれど、これは教育委員会には絶対採用されないわな。採用されたとしても正しく教えられる教師もいないだろうし。
 でも書かれていることはしごく真っ当。不足があるとすれば同性愛などの一般的ではない(という言い方がまずければ、マイナーな)性的嗜好について書かれていないことぐらいか。ま、そんなに盛り込んでもしょうがないけど。だいたい男子向きというのも、女子にとっては不満があるかもしれない。でもまあ煩悩でいっぱいになってる思春期男子に特化したことで、この本は価値を高めているとも言える。だから女子は、ああ、男子は馬鹿だ馬鹿だと思っていたけどやっぱり馬鹿だったんだな、と確認するつもりで読むのがよろしい。


 だいたい前半の、いわゆる性教育的部分に注目が集まるだろうと思うのだが、むしろ特筆すべきは後半だと思う。「第3部 生涯を通しての健康」のうちの「第3章 家庭生活と健康」「第4章 加齢と健康」のあたり(「第2章 金玉と包茎」なども魅力的なタイトルではあるけれどね)。ふざけて書いてあるようでいて(いやそりゃ当然ふざけてるんだろうけど)、けっこう鋭いところを突いている。
 残念なお知らせをしなくてはならないのですが、セックスとは何のためにやるかと言いますと、実は「子供を作るため」なのです。衝撃の事実なので教えていいものなのかどうか悩みましたが、これは本当です。(「2)結婚の意義」p.108)
 そう。中学生ぐらいの、性に目覚めたばかりの連中にとっては衝撃的だよなあ。そのくせ、保健体育でこうは教えない。仕組みは教えるが、目的は教えない。
 子供というのは現代美術です。もちろんそれはちっともかわいくないのです。確実に他人の子供はかわいくない。(略)  でも「ぶさいくだ」「気持ち悪い」なんて本当のことを言ってしまっては、友情としてすべてがおしまいになってしまいます。そこでいいところを見つけて、がんばって「子ほめ」をしなくてはならないのです。(「4)友人の妊娠がわかったら」p.113)
 いやほんとにねえ(笑)。
 同様に、お金もないのにやたら子供を作ってはいけません。まわりのみんなが作ったから、ついついフィギュア感覚で作ってしまいがちですけど、そのマイフィギュア感覚はやめなくてはなりません。(「6)父親と母親の役割」p.120)
 昨今よく「友達のような親子」という言葉を聞きますが、気持ち悪いにもほどがありますよね。(略)子供と秘密結社のような関係を結びたい親は、ときに子供の座をねらっていたりします。(略)  それで大人になったときに、「すきあらば自分はこれから子供になろう」と思っているわけです。(「7)つまらない「いい親」にならないために」p.121)
 この二つは強烈だ。現実に、子供を出汁にして責任を逃れようとする親、自分の欲望に基づく都合を優先する親(そこに子供のためという包装がなされるわけだが)がなんと多いことか。  もう引用しはじめるときりがない。しかし第3部第3章、第4章(正しい老い方惚け方が書かれている)は、おとなが読まなくてはならない章だ。特に頭の堅い人と頭の幼い人にお勧めしたい。

 関係ないが、この本のCコード(日本図書コード)は「C0330」。普通に読む小説は「C0093」、エッセイは「C0095」という具合に分類されているのだが、C0330なんてあまり見かけない。
 なんだろうと思って検索してみたら佐藤正午のサイトをやってる方のページにたどりついてしまった。【参考:日本図書コードの仕組み分類コード
 コードは販売対象、発行形態、分類(2桁)の計4桁からなり、C0330は「一般向け-新書-社会科学総記」ということになる。販売対象は「一般」。けっして「6 学参I (小・中学生対象)」や「7 学参II(高校生対象)」ではないのである。ヤングアダルト向けの皮をかぶった大人向けだ。読んでみて、損はあるまい。なんか懐かしいし(笑)。

March 05, 2005

またしても試写室

 3月であります。ほんと、東京って2月より3月のほうが寒いっていうのがデフォルトになってるなあ。
 もう忘れたつもりだった「試写室」がまた面白かったので雑文を追加したよ。こんなに引っ張るならblogでよかったよなと今ごろ思ってみたり。