April 02, 2004

世界は危険に満ちている

回転ドア事故、全国で140件超 撤去検討の動き広がる
asahi.com回転ドア死亡事故特集
さて回転扉が次々と使用停止になりつつある今日このごろです。ぐるぐる回るなら今のうちだ。自動で回るのはこわいようですね。自動だけに児童が危険。なんちて。

いやそーじゃなくて。

地下鉄(今日から東京メトロ!)の入り口でのことです。昼間ね。地上からエスカレーターがある、そういう入り口で。
私は降りようとしていたんですが、ほぼ同着ぐらいで前方から幼稚園児もしくは小学校低学年の男子が走ってきた。ひとりで来たのかと思ったら、お母さんは10メートルぐらい離れてついてきている。子供はエスカレーターに乗るところで立ち止まり母親を待っている。
邪魔なんでその脇をすり抜けて私は地下へ。
背後から聞こえたのは母親の声でした。
「先に行かないでよ〜、もう、あぶないでしょお〜」
叱責というよりは、普通のおしゃべり風。《あぶない》と口では言うが、ただ口に出しているだけで、母親自身が《あぶない》とはまったく思っていないのがうかがえた。そんなだから子供のほうも「うるせーバーカ」(そこまでひどくはなかったけど、まあそんなような馬鹿にした軽口)と返すのであった。

思いました、私。
日本から回転扉なくしたって、いずれエスカレーターで転げ落ちて死ぬ子供は出てくるだろうなあと(もういるかな)。エレベーターぐらい“障害物があるときは扉が閉まらない”という仕組みにしないとダメだろうな。回転扉の場合、完璧なセンサーをつけて瞬時にストップするシステムをつくれば(無理? よくわからんが)はさまれて怪我するだの死ぬだのはなくなる可能性があると思うのだけど、エスカレーターはどうしようもないでしょう。もし、子供がダイブしたら。

企業が完璧な製品を世に出しているとは考えないほうがいい。事故が起きていないものは完璧なのかもしれないが、それはあくまで今日まではということであり、いつ《事故の第1号》が発生するかだれにもわからない。その1号はあなたかもしれない。私かもしれない。
危険性のあることを子供がしたときに、へらへらと「ダメよぉ〜」ということは、なんら危機回避・事故防止にはつながらないと思うんだよなあ。あぶないことをしたら、即座に厳しく叱らないとダメだと思うんですが。子供だって、叱ってる相手が本気かどうか、ちゃんとわかるんだから。

私だったら――私が今日の子供の親だったら――速攻でとっつかまえて耳を引っぱり上げ、「止まれといったときはすぐに止まれ。親のそばから離れるな。勝手に動き回り走り回るなら、今後一切外には同行しない」と目を見てきつく叱りますね。というかその条件で合意しない限りはどこにもつれてかないだろうなあ。だって、それこそ一歩間違えたらエスカレーターから転げ落ちて頭打って死ぬんですから(こないだ終わったテレビドラマではエスカレーターから転げ落ちて再起不能になったはずのアイスホッケー選手が数週間、いやもしかすると数日かもしれないけど、すごい短期間で復活してましたが)。

ああ、これって犬のしつけと同じだなあ。こちらが本気で怒っているときは、犬もわかる。繰り返して制御すれば学習する。
子供は日本語が通じるんだから、もっと楽だと思うんですがね。

幼稚園児のころ、通り(といっても狭い、1車線の道)の向こう側にいる親を発見して駆け寄ろうとして車に轢かれそうになったことがあります(ってこの話、にも書いてんじゃん)。思いっきり怒られたなあ。まあ自分でもヤバイということは理解してたし驚愕もしてたんだけど。でもあのとき怒られたから、《道路を渡るときは左右をよく見る》ということを学習したんだなあと思う。

投稿者 percent : April 2, 2004 02:24 AM | トラックバック (0)
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コメント
まあ気楽にコメントしてくれたまえ。もうしわけないが、スパムが多すぎなのでコメントは管理者の承認後、掲載される。まあ気長に待ってくれたまえ。









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